10年ぶり優勝で「28年前の借り返せた」香月大介選手

8月の「その瞬間」から、ずっとお話をうかがいたかった方に、ようやく取材することができました。今回の主人公は、8月10日にボートレース芦屋で約10年ぶりの優勝を飾った香月大介選手です。

--改めて、芦屋での優勝おめでとうございます! 相棒は65号機でしたけど、最初から手応えはあったんですか?

香月選手 有難うございます。そうですね。ありましたねぇ。だいたい前検日は僕、前走者のまま乗るんですけど、その何もしない状態で前検から1番時計だったんで「これは直線はいいんじゃないの?!」っていう感触はありました。

--予選突破してから準優勝戦もすごかったですよね。

香月選手 実は、準優前は結構リラックスしてたんですよ。5号艇でしたし、どっか展開突ければいいなって感じで。でも、その(準優の)結果の方が自分でもびっくりしたというか「あ、まくっちゃった!」みたいな(笑い)。

--その、「まくっ“ちゃった”」っていうのは?

香月選手 最初、まくり差さないけんなぁって思いよったんですけど、スタートして思いのほか伸びていって…で、1号艇もまくり差さないけんかなって思った時に、1号艇の人がレバーを落とすのが見えたんで「じゃぁ、もうまくっちゃえー!」と思っていったら決まった! みたいな(笑い)。

--その瞬時の判断ってやっぱりすごいですよね。

香月選手 準優はほんと冷静にレースできた感じでしたね。

--優勝戦はいかがでしたか? 緊張とかは?

香月選手 スタート展示始まる前くらいまでですかねぇ、緊張してたのは。陸の上の方がどうしようって。一番考えてたのが進入なんですけど、3号艇だったんで、3コースでターンマークくらいからいくか、3カドに引っ張るかっていうのをずーっと悩んでました。

--そこがすごく聞きたかったんです! 3カドを選択されたのはどういう判断だったんですか?

香月選手 まず、その節のスタート勘っていうのがあって、あの時はどちらかというとダッシュスタートの方が決まってたんです。それと、僕の中で芦屋って、意外とホームストレッチが狭いんで、3カドにしても4コースとの誤差が少ないレース場だと思うんです。実は、5月に芦屋を走った時も何回か3カドにしてたのもあったし、この(8月の)優勝戦でどういうレースをしたら自分が一番後悔しないのかな? って考えた時に、やっぱりスタートで負けるのが悔しかったんで。1コーナー(マーク)とかは相手もあるし展開もあるじゃないですか。でも、スタートに関しては自力で勝負できるところだし、そこで負けるのがたぶん一番後悔すると思ったんで、じゃぁもうスタートの分かるダッシュから行こう! と思って、最終的にはスタート展示終わった後に決めました。

--その本番のスタートは引いてコンマ06でしたけど?

香月選手 途中の周りの見え方がちょっと早いなとは思ったんです。普通ならちょっと様子見たりするんですけど、あの時はもうほんとにイチかバチか度胸決めてそのまんま行っちゃいましたね。

--そのスタートから、1マーク回って先頭に立った時のお気持ちは?

香月選手 1コーナー回るまでは外からも握ってくる音とかも聞こえてたんで、まだ「やったー」という気持ちではなかったですね。とりあえず伸びていったんでまくって、あとは外側の艇が差してきたりとか、外をツケマイいって回ってきた人とかがどうなってるかな? というのを考えながら、1コーナーは回ってました。

--では、優勝を意識したのはどの辺りだったんでしょうか?

香月選手 1周2コーナーを回ってからですね。

--インタビューで「いろんなことを思い出しながら走ってた」って言われてましたけど、いろんなというのは?

香月選手 それこそ古い話になるんですけど、実は初優出も僕、芦屋やったんですよね。その時も3号艇で、優勝戦でまくったにも関わらず1周2コーナーでさばかれて結局3着だったんです。(ピットに)揚がってきたらみんなに「お前、何しよん」って言われて、その時優勝した木村正太郎さんにも「あそこはこうせないかんよ」とアドバイスもらったりしたこととかを思い出してましたね。

--ゴールした瞬間はいかがでしたか?

香月選手 うーん、やっぱり何とも言えない気持ちでしたね。福岡3場あるけど、引退するまでにはそのどこか1場でも優勝したいっていうのは言ってたから、芦屋で優勝できたのもうれしかったし、それこそ『28年前の借りをやっと返せた』じゃないけど、何ていうかいろんな感情が出てきて…。ちょうど8月だったんで息子も帰ってきてて、嫁と娘と家族総出で迎えに来てくれて「バンザーイ!」って言って迎えてくれました。息子とか「すげぇ感動した」とか言ってくれたりして、こっちも「やったばい!!」みたいなね。

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香月大介選手(左から2人目)は8月芦屋のお盆戦で3カドまくりを決めて、約10年ぶりの優勝を飾りました

--聞いてるだけで感動しますね。改めて、前回の優勝からのこの10年ってどんな10年でしたか?

香月選手 正直、やっぱりしんどかったなぁっていうのはありますね。年齢とともにだんだんと体力とか動体視力とかも落ちてきて、成績とかもじわじわと落ちてくるじゃないですか。ケガもあったし、きついことの方が多かった気がしますね。

--ケガというのは?

香月選手 10年前に優勝したしばらく後の節で、接触で腕が上がらなくなって病院に直行したことがあったんです。肩の『亜脱臼』と診断されて、完全に外れるまではいかなかったんですけど、その状態で無理して使ってると筋やら筋肉やらを傷めて腕が上がらなくなって。特にエンジン出てない時とかは大幅に(ペラを)たたかなきゃいけないんで、それで負担が来てだんだんとズレてくるって状態でした。

--そういった痛みがありながらも、今回のこの優勝に結び付いたのは何か具体的な変化があったんですか?

香月選手 仕事の内容的に特にこれを変えたとかはないんですけど、やっぱり気持ち的な部分ですかねぇ。身体も満足いく状態でレースできてなくて、心が折れそうになりかけた時にいい先生を紹介してもらって、治療してもらうとその次の節はすごく楽にストレスなくペラ調整とかもできてきたんですね。それまでも、痛みとかはあっても、その時の自分のベストな状態ではレースに行ってたつもりですけど、やっぱり全然違ってて、少しずつ結果も良くなってきて。 また、そんな時にレース場で僕よりも上の先輩たちの動きを見ていると、そんなこと言ってる場合じゃないなっていうくらい仕事に対する姿勢が違うしすごいんですよね。やけん、先輩たちが頑張りよるんやけん、自分ももうちょっと頑張らないけんなっていう意識の変化みたいなのがありましたね。

--この優勝が、これからに向けていい影響を与えてくれそうですね。

香月選手:はい。10年ぶりっていうのもあって、反響がすごかったです。同世代の選手からも僕の優勝を見て「また頑張ろう! と思えました」っていう連絡ももらったし、僕自身も50過ぎても優勝できるんだっていう、何か自信じゃないけど、もうちょっと頑張れそうな気はしています。

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香月大介選手の治療を担当した斎藤行央先生

香月選手の治療にあたられた斎藤鍼灸整骨院大阪市)の斎藤行央先生によると「最初は肩の亜脱臼から痛みをかばって、肘だけで一生懸命プロペラをたたいたことで、肘に負担がかかったのかなという印象がありました。なので、肩と肘の両方を治療していったんですが、必ず良くなるだろうという感覚はありましたよ。そこはもう、僕の責任と確信を持って治療にあたらせていただいたので、あの優勝は本当にうれしかったです」と自分のことのように喜んでいらっしゃいました。

○…強みや特徴を持っている選手は、ファンからも愛着を持って覚えられていることが多いです。清水沙樹選手(33=東京)もその1人ではないでしょうか。20年後期にA1級昇格を果たし、これからさらなる飛躍が期待される選手です。レディースオールスターのファン投票の中間発表でも15位と、その注目度の高さをうかがわせます。

その特徴は攻撃力の高いレース。スタート力を武器に、コースを問わず攻めるレースで白星を勝ち取っています。今年も2、3、4、5コースでまくって勝利を挙げた実績があります。11月戸田のヴィーナスシリーズ優勝戦でも、不発には終わったものの2コースから果敢な攻めを披露しました。芦屋の水面特徴を考えれば、持ち味を生かした走りを見せてくれるでしょう。【芦屋ボート担当・土居恒久】

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